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人間の五感覚という条件を通して認識する現実という画面があり、

事実という客観的解析、思い込みという主観的解析がある。


だけど、それらはどれも条件状況によって変化する錯覚。

それぞれこんなふうに言葉で定義することによって境界線を引いてはいるけど、

その言葉の定義すら本当は錯覚であり絶対じゃない。


そんな錯覚の中で、

正しいことも正しくないことも解答も何もかもあるはずがない。

ないけれど自分がそのように存在させているだけ。


苦しいと思うのも楽しいと思うのも、

不自由だと思うのも自由だと思うのも、

何も無いところから選択している。


全て無限大の可能性から有るようになっている。

それがどれだけ自由なことなのか、

もっともっと実感していこう。