7/31
答えのないものを探して探して、
人間はどこに向かっているのでしょうか?何を求めているのでしょうか?
前へ前へ行くことが悪いわけじゃないけど、
首が絞まって苦しいなら、
一度解いてみてそこからまた創っていいんじゃないでしょうか?
せっかく創ったものを解くなんてモヤモヤするかも知れないけれど、
それが無駄になるわけじゃない。
全て抱き込んでもっと次元のちがう創造ができるから。
宇宙も植物も動物も人類もその歴史も私もあなたも何もかも、
関係ないものは何ひとつない。
関係なくないどころじゃない理由がある。
あなたがちっぽけで価値がない存在でもない理由がある。
今この瞬間瞬間、
人間には観測できないほどのスピードで、
全ての創造と破壊を繰り返す、
その物凄い力とスピードをもったあなたであること、
無限の可能性でしかないことを思い出してください。
知も超えて、目を覚ましましょう!
7/30
どんなに複雑で混沌として見えるこの世界も、
全てはひとつの動きから有るようになっている。
それを理解することで、
全てを本当の意味で知ることができる。
そういうものだ、として暗記したものは何も知らないのと同じ。
自分も他人も言葉も国も世界もなんでも。
それがどこからきて、
どのようにして有るようになっているのかの仕組みが明確にわかって初めて、知ったといえるはず。
7/30
どんなに複雑で混沌として見えるこの世界も、
全てはひとつの動きから有るようになっている。
それを理解することで、
全てを本当の意味で知ることができる。
そういうものだ、として暗記したものは何も知らないのと同じ。
自分も他人も言葉も国も世界もなんでも。
それがどこからきて、
どのようにして有るようになっているのかの仕組みが明確にわかって初めて、知ったといえるはず。
7/29
無いところから有るようになっている
違うものがそれぞれ存在しているように見えるけど全てはひとつ
出会いは奇跡であり、
出会いしかない
目をつむっていようと
眠っていようと
その瞬間瞬間出会いであふれている
7/27
この人はなぜ、どこからその言葉を発しているのだろう?
その表情はどこから出てくるのだろう?
それを観られるようになったら、
目を合わせてくれなくても、
笑顔を浮かべていても、
無表情でも、
そんな表面のことにとらわれず動じない自分でいられる。
7/26
人間の五感覚という条件を通して認識する現実という画面があり、
事実という客観的解析、思い込みという主観的解析がある。
だけど、それらはどれも条件状況によって変化する錯覚。
それぞれこんなふうに言葉で定義することによって境界線を引いてはいるけど、
その言葉の定義すら本当は錯覚であり絶対じゃない。
そんな錯覚の中で、
正しいことも正しくないことも解答も何もかもあるはずがない。
ないけれど自分がそのように存在させているだけ。
苦しいと思うのも楽しいと思うのも、
不自由だと思うのも自由だと思うのも、
何も無いところから選択している。
全て無限大の可能性から有るようになっている。
それがどれだけ自由なことなのか、
もっともっと実感していこう。